山の手事情社「オイディプス王」。

きょうはひさしぶりに雨が降りました!
いや〜嬉しい。いやはや嬉しい。

さてさて、メンテナンスしただけで中身を書かないんじゃ本末転倒なんで、
先日も少し書いた、お芝居の話の続き。

山の手事情社のお芝居を見てきました。
「オイディプス王」。
身近な友人が劇団員になったのをきっかけに見始めて、今回こちらの劇団のお芝居を観るのは二度目。すばらしい作品でした。

まずはエンターテインメントとしての質の高さ。舞台の構成の美しさと、細部を支える役者さんたちの鍛えられた肉体、無駄のない動作。
モノローグ(語り)中心のシンプルな舞台なのに、張り詰めた空気を保ったまま最後までいっきに駆け抜けていきました。ああいうのって、一番難しいんじゃないかなあ。

「オイディプス」というと、かの有名なギリシャ悲劇。
今人気再燃中のニーチェも、この物語からインスピレーションを得て「デュオニソス的肯定」なんていう哲学概念を作り出したり・・・。
なにしろ古今東西さまざまな場所に登場する、強烈なインパクトを持った作品です。

それと知らないまま父を殺し、母と結婚してある国の王になるオイディプスという青年。やがて自分の犯した罪に気づき、運命の恐ろしさに耐えかねて自ら目をつぶして国を出る…という筋書。うーん大変(汗)。

これだけでも十分見ごたえのある話ではあるんですが、今回の芝居ではまた、現代のわたしたちにも身近なメッセージを添えてくれました。

あいさつの中で話していらっしゃいましたが、演出家さんはこの芝居を作るにあたって、オイディプスの誤ちを避けようのない「運命」とはとらえず、「ずっと目の前にあった真実に目を向けなかった」自分の怠慢とおろかさが招いた必然的な破滅、ととらえたらしい。
仮に自分の出生の秘密にもっと早くから疑問を持ち、確かめていれば、悲劇は未然に防げたかもしれない。くりかえされる日常を疑いもせずただ受け入れていたために、とりかえしのつかない破滅に追い込まれたんじゃないのか。

多分そういうことなのかな? と。

だからこの芝居では、一貫して「目」をモチーフに据えていました。真実を見抜く目、虚偽に踊らされる目。役者さんたちは登場のたびに片手で目を隠し、時折ある一点を凝視したり、数人で同じ方向を見つめたり。

おもしろいやり方だなあ〜と、こんなところにも感動!

上演が終わって外に出たあとは、私もなんだか不思議な感覚に襲われました。
ヘンな話ですが、目に映る風景、文明社会の作り出したもの…別の言い方をすれば人間がこれまで積み重ねてきたものが、いびつなものに見えてきた、というか。
ずいぶんぼんやりした言い方で恐縮ですが、自分や、人間たちは、ホントにこんな生き方をしていて良いのかな? なんて思ったりして。

わたしたちもオイディプスと同じように、見なければならないものから目を逸らし、日常の些末に気をとられたまま、刻々と破滅に向かっているのかもしれません。自然の悲鳴を聞いたり、矛盾を抱えたシステムに慣れてしまったり、早すぎる文明のスピードに呑まれていたり。それでそのまま、人生を終えるんだろうか〜。
キャー。

いや〜、芝居って深いね! なんてクリスと語り合いながら、
ビールを飲みほした夕方でありました。。イエス、アサヒ!

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